怖い話

一つの村が消えた話をする

怖い話
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この話を人にするのも、書き込むのも初めてだが、時間に余裕のある奴は聞いてくれると助かる。

文章は読みにくいかもしれないし、見る者の殆どが釣りとかネタだろと思う内容だと思うけど。

では、早速話を始めようと思う。

俺にはあまり時間がないので。

俺はある山奥の村で生まれ育った。

人口は100人程度、村に学校は無かったから、町の小中学校まで通って行っていた。

村人の殆どは中年の大人や高齢の方で、一部の高校生や大学生の人達も村を離れている。

当時の子供達と言えば、俺と幼馴染の女子の葵(あおい)と男子の滋(しげる)の同世代のみであり、俺達より年下の村人もいなかったから、殆ど仲の良い3人で勉強をし、川遊びをし、釣りをしたりという生活を送っていた。

幼馴染の葵は、俺達の中でも一番賢く、はっきり言うと美人で、超田舎にこんな子がいるのは、割と珍しい方なんじゃないかって、1人思っていた事もあった。

神社の神主の一族で、幼い頃から巫女として育てられてきた。

幼馴染の滋は、頼り甲斐のある奴で、遊びの予定とか内容も殆ど彼が決めていた。

ガタイが良く、豊富な知識で楽しませてくれる親友だ。

ちなみに町の小中学校も人数が少なく、廃校寸前のような状態だった。

村は全体的に田畑、小川、空き地が殆ど。

古い歴史がある神社、池が1つ。

村人がやっている、八百屋や服屋が一軒。

この村へ行くには、人口数千人程度の町から、村へと続く道なり20キロ程度の1本の山道を通る必要がある。

町から村へ行く道は、この1本の道しか無く、交通の便は非常に悪い。

山奥の村という事もあって、村の関係者以外の人は殆ど来る事は無い。

と、軽く村と諸々の紹介をした所で、本題に入ろうと思う。

この話は、俺が15歳の夏、中学3年生の夏から体験した出来事。

非常に現実味の無い話だが、とある事情から、虚構を混ぜずに語る事を誓う。

説明が長いと思われるかもしれないが、なるべく分かりやすく、俺の体験を皆に知って貰う為の余計な配慮だと思ってくれ。

まずはじめに、村の行事や伝承について説明しようと思う。

特定出来る者は、この村を特定しても構わない。

しかし、俺は村を仮に特定出来たとしても、ある事情から村に行く事は勧めない。

その点を、深く理解して頂きたいと思う。

神社・祭り・伝承に関して。

この村の神社では、数百年前から1年に一度、ある祭りが行われて来た。

この祭りの名前は、多分特定されないと思うから書き込んでおく。

村の祭りは『辿静祭』と呼ばれ、村全体規模で行われる祭りだ。

8月15日のお盆の日に行われ、村人全員が辿静祭に参加し、村人が露店を開き、世間で言われる『盆踊り』、この村では『鬼無踊り』と呼ばれる独自の踊りを踊ったりし、最後は神社の巫女が『巫女神楽』、この村では『浄縁神楽』と呼ばれる、これまた独自の神楽を舞う事によって、辿静祭は幕を閉じる。

この村の村人には、辿静祭に関する三つの『禁』が伝えられており、その禁は親から子へ、子から孫へと伝えられてきた。

俺自身も、小学生の時に両親から教え込まれ、絶対に破ってはならないと言われてきた。

第一の禁・辿静祭前日である8月14日、神主一族以外の村人は、村の奥にある『障芽池』には近づいてはならない。

第二の禁・辿静祭当日である8月15日、全ての村人は絶対に人を入れてはならず、村人も村外の外界に必ず出てはならない。

第三の禁・8月15日・辿静祭当日から8月20日・辿静祭後日の間に、この村で村人に、知人に、家族に、自分に何が起きようとも、その事を生涯絶対に村以外で口にしてはならない、といったものだ。

この辿静祭に関する禁が、いつから村に存在するのかは分からないが、村人の先祖達が子孫を思って、この禁を伝えてきた事には変わりない。

禁を破ってしまった場合どうなるか、当時の俺は知る由も無かった。

第一の禁にある障芽池についてだが、この池は村に古くから伝わる池で、障芽池は鬼の住む巣窟に繋がっていると伝えられている。

この伝承は、障芽池の鬼伝説と呼ばれている。

障芽池の森は代々神主一族に管理されており、神主一族以外の村人が周囲に無断で立ち入る事は禁止されている。

神主一族が管理する障芽池には、5重の注連縄と5つの祠が存在し、これらは障芽池を封印しているそうだ。

8月14日は、第一の禁に従い、神主一族以外の者は障芽池の森に立ち入る事が出来なくなるように、厳重に有刺鉄線で障芽池の森の周囲を覆ってしまう為、障芽池は完全に封鎖される。

8月10日。

俺達はいつものように、小川で3人で遊んでいた。

水を掛け合ったり、水鉄砲の様な自家製のおもちゃを使って遊び、昼が過ぎ、弁当を食べ終わり、次の遊びの予定を考えていた。

「明日は何して遊ぶ?」

「私は昼過ぎから浄縁神楽の練習があるから、午前中だけなら遊べるよ!」

俺の問いかけに葵が答える。

「これからは葵も浄縁神楽の練習をする時間が増えるな。俺にとっておきの楽しみというか、やってみたい事があるんだけど、聞いて貰えるか?」

「いいぜ」

「いいよ」

滋の言葉に、俺も葵も興味津々だ。

「これは誰にも言わないでくれよ、8月14日の夜にさ、障芽池の森に3人で行ってみないか?」

それは、俺達の年頃ならば誰もが一度は思いつく、後ろめたくも冒険心を擽られる行為。

「でも、それは禁を破る事になるぜ。辿静祭の前日は、葵の一族の人が出入り口を見回っているだろうし」

「私もやめた方がいいと思うし、障芽池の森に行くのは無理だと思うな」

俺と葵は乗り気じゃない。

滋の提案は魅力的ではあったけれども…。

しかし、滋は抜け目なかった。

「2人にそう言われると思っていたから、昨日の夜に障芽池の森の有刺鉄線の網を一部開けておいたんだ。それに、障芽池の森の中に『祠』がある事を知ってるか?」

滋は自信たっぷりに言う。

「有刺鉄線を越えて、障芽池に行く獣道から少し外れた所に、ある祠があるそうなんだ。一昨日、俺の両親が話をしている所を一部聞いただけなんだけどさ、その祠はこの村の歴史が存在する以前からあるらしく、その祠の中にある『石』に触れると、『見える』ようになるそうだよ」

「そんな話、お父さんからもお母さんからも聞いた事ないけど、本当だったら気になるかも」

興味を惹かれたのか、前のめりになる葵。

俺も葵と同じ意見だ。

「その話は聞いた事ないけど、何か気になる。そんで、何が『見える』ようになるんだ?」

「それは俺にも分からん、両親が2人で昔話をしている所を少し聞いただけで、その『見える』って言葉の後、父さんが話を変えたからさ」

肝心な所を暈されると、何とも興味をそそられるものだ。

「そっか、色々怖いけど、滋の話を信じてその祠に行ってみるか」

「私も行く!次の日は辿静祭だからお父さんから早く寝なさいって言われると思うから、なんとか屋敷を抜け出してみるね」

お嬢様の葵としては、なかなかの冒険に違いない。

「近くまで滋と迎えに行くよ、時間はどうする?」

「夜の8時ぐらいかな、あまり遅いと何かあった時に困るだろうから、時間に余裕をもって行きたい」

例によって滋の計画は周到だ。

「了解!」

「分かった!」

俺と葵はそれぞれ頷く。

「それで、明日はどうするんだ?」

「葵の都合考えて、お前の家で花札とか?」

「私は構わないわよ!」

「了解!明日の朝9時頃に来てくれ」

俺達は、禁を守るという事の重要性を理解していなかった為、このような事を行うと決めてしまった。

村の歴史そのものでもある神主一族の葵、そして親友の滋を俺は止めず、彼等の意見に賛同してしまった。

先にも言った通り、この年頃特有の、ちょっとした冒険に過ぎないと思っていた。

禁なんて言われると、余計に怖いもの見たさで覗き見てしまいたくなる。

そんな、いたって普通の好奇心。

これが、俺の生涯の過ちとなる。




















8月11日。

村から離れていた人達が帰ってきた。

大人達、高校生達を合わせても10人程度の人数、この人数と村に留まっている者達を合わせた数が、本当の村人の人口だと言える。

この日から辿静祭の準備が始まった。

神社の参道、社、神楽殿の掃除や、彩の準備。

露店の準備に、村から外界へ通じる道の完全な封鎖網の準備、障芽池の森の封鎖準備等、村全体が慌ただしくなってきた。

この時に、滋が開けた障芽池の森の入り口が塞がれていないか心配だったが、滋によればそれは大丈夫との事。

午前中は俺の家で葵や滋と遊び、午後は1人で釣りをした。

8月12日。

村の出入り口が完全に封鎖された。

出入り口に通ずる森や林にも封鎖網が施され、村と外界が隔絶された。

障芽池の森の入り口が完全に封鎖され、周囲を神主一族の者達が見回っているようだ。

辿静祭に関する場所の掃除や彩は大体終わり、各露店の場所も分かるほどに準備は進んでいた。

この日は、葵が丸1日、浄縁神楽の練習との事だったので、午前中は勉強、午後は滋と釣りをし、1日を過ごした。

8月13日。

辿静祭への大体の準備は整った。

露店も準備が終わったそうだし、後は辿静祭当日を迎えるだけとなった。

神主一族の神主、つまり葵の父親から村人全体に召集があった。

辿静祭についての話だそうだ。

禁の最終的な確認と、鬼無踊りの確認、浄縁神楽の予定の確認、最後に神主から重要な知らせがあった。

「今年の辿静祭でも私の娘が浄縁神楽を舞う、恐らくは完璧な出来となるだろう。皆も、心して娘を見てくれ」

その言葉に村人達は活気づき、神主は誇らしげに微笑む。

俺の傍で話を聞いていた葵は照れている様だった。

正直、可愛いと思った。

8月14日、辿静祭前日昼。

今日は辿静祭の前日だ。

村人の召集が再び神主からあり、辿静祭の予定やそれに関する多くの事物が書かれた書類が配布された。

今日の夜、俺達は障芽池の森の祠に向かう。

その予定の最終確認を召集後に済ませた俺達は、葵の屋敷に来ていた。

葵が浄縁神楽を見て欲しいと言った為だ。

葵は、代々の巫女が着ける仮面を身に着け、扇や榊を手にし、浄縁神楽を舞ってみせた。

時間は3分程度だろうか、案外早く終わった。

俺は素直に、浄縁神楽に感動した。

滋も笑顔で拍手をしていた。

辿静祭前日夜。

夜7時半になったので、俺は両親に『滋の家に忘れ物を取って来る』と言い、滋の家に向かった。

滋の姿が屋敷の待ち合わせ場所に無かった事から、滋は既に家から出ているらしい。

俺は葵との待ち合わせ場所に向かった。

「お待たせー」

元気よく葵が走ってくる。

「両親は大丈夫か?」

「浄縁神楽の練習をしてくるって言って、抜け出してきた」

優等生の葵は、これでも少し罪悪感を感じているようだが。

「そっか、滋が待ち合わせ場所にいなかったんだよ」

「そうなの?予定通りにいくのかな」

などと葵と話していると、数十分後に滋が到着した。

「どこいってたんだよ!」

「ごめん!開けておいた有刺鉄線の確認に行ってた。直されていたら元も子もないからな。直されていなかったから、一先ずはいけそうだ」

手を合わせて詫びる滋。

「そうなんだ、そろそろいこっか!」

その事は気にも留めず、葵が言う。

「ああ、数分で着くし、準備確認しながら行こう」

「了解」

滋が開けた穴の入り口までは、なるべく人通りが少ない所を通って向かった。

「やっぱり、神主一族の人達が見回っているな」

はっきりとは見えなかったが、多くの人影が巡回しているように見えた。

「隙を見て行こう」

「先頭は滋君が行ってね、私達は場所を知らないんだから」

「分かった」

人影が穴の傍を離れた隙に、俺達は移動した。

俺は我先にと穴を潜ろうとした。

「おい滋!穴通りにくいぞ!」

「潜れば行けるって」

俺は服の背中を有刺鉄線に引っかけながらも、穴を抜けた。

滋と葵も難無く穴を抜け、森の中に入っていく。

「ここからどうするんだ?」

「この森を北東に抜ければ、獣道へ出る筈だから、一先ずはそこに向かう」

滋の説明で、俺達は歩き出す。

「森の中、何か不気味」

「ああ」

怖いのか、葵が俺の腕に寄り添う。

俺達は懐中電灯を灯し、獣道へ向かって歩き出した。

山の中の村に住んでいるとはいえ、多くの獣が徘徊する森、俺達は獣が動き出す夜の森に入った事が無かった。

山犬の遠吠えが響き渡り、足元には蛇や虫が沢山いるかもしれない。

俺と滋は平気だが、葵がずっと俺の袖を摑んでいる事から、やっぱり女子なんだなと思う所もあった。

歩き始めてから、軽く30分は経ったと思う。

獣道にはまだ出ない。

「おい滋、まだ道に出ないのかよ?方向間違えて無いか?」

「方位磁針を使っているから、そうはならないと思うが」

「少し見せてみ」

「ほら」

滋の手の中の方位磁針を覗き込む俺。

「確かに、方向は合っているな」

「大丈夫なの?」

葵が不安そうに言う。

「ここまで入ってきた以上、今から帰るとしても森の中で迷うだけだから、獣道へ出るまで歩くしかない」

「そっか」

不安は拭えないまま、葵が頷く。

「行くぞ」

俺達は歩き出した。

歩き出して5分程経った時の事だった。

獣道へ出た。

「この獣道で合ってたか?」

「多分そうだと思う、時間的に」

「どうする?」

葵が俺の顔を見る。

「確認する為に、この先にある筈の障芽池まで行くっていうのは?」

「だな」

頷く滋。

「障芽池にあまり近づかないようにね」

俺と滋は、そもそも障芽池を見た事すら無く、葵自身も小さい頃に一度両親と行ったきりだそうだ。

だから、障芽池に続く道かも分からなかったから、祠に行く前に確かめる必要があった。

数分程度歩いた。

「獣の声とかしなくなったな」

「確かに、山犬の遠吠えとかも聞こえなくなった」

口々に話していると。

「どうした葵?」

葵の元気が無かった。

「…この獣道へ出た時から何か寒気がしてて」

「寒気?大丈夫か?」

「上着とか、貸すぜ」

葵はワンピース姿なので、夏の夜で寒いのも無理はないと思った。

「何かね、肌に直接くるような寒気じゃなくて、心に直接来るような寒気なのよ」

俺達は葵の状態が、良くない事に気が付き始めた。


















葵は精神的に疲れている時、言い出しに『何かね』と付ける。

「引き返すか?」

葵を気遣って言葉をかける。

「だが、障芽池を確認しない事には道に迷うだけだぜ」

「それもそうか…行けそうか葵?」

滋の言葉に、俺は迷う。

「少しなら大丈夫、行こ?」

葵は何とか微笑んで見せてくれた。

「分かった、何かあったら遠慮なく言いなよ」

「少し歩く速度を速めるか?」

「どうする葵?」

「今のままで良いよ」

「分かった」

…この時、俺は本能的に良くない感覚を捉えて始めていた。

これが第六感というのかどうかは分からないが。

暫く歩いた時。

「お?」

滋が何かを見つけた。

「どうした?」

「この先に小屋があるぜ、あそこで少し休んでいかないか?」

「小屋?」

確かに獣道の先には小屋があった。

「そこで休も?」

体力的にきついのか、葵が言う。

「ああ」

葵の体調が万全で無い以上、そこで休む事にした。

俺は何故か、そこに小屋がある事に違和感を感じなかった。

「随分と古い小屋だな」

小屋は草や木で覆われ、空を見上げても一面を覆われており、月明かりが差し込んでいなかった。

「中に入ろうぜ、葵も俺達も休憩しよう」

「ああ」

滋は1人で小屋の出入り口に向かって行き、扉を開けた。

小屋の扉は鍵がかかっていなかった。

「……」

葵はずっと黙ってしまっている。

中に入ると、滋はそそくさと椅子を探し出し、そこに葵を座らせた。

小屋の中は、椅子や机、包丁のような物等、色々な物が転がっており、何かの異臭も感じられた。

葵は椅子に座り、滋は小屋の周囲を物色している。

俺は小屋の中を調べる事にした。

物が散乱している場所から、角を曲がり奥へ行った所に扉があった。

「何だこの扉」

俺は扉を開けようとした。

一瞬だけ手を止めたが、好奇心が勝り扉を開けてしまった。

扉の中は和式便所で、変な異臭はここから出ている事が分かった。

和式便所の窓は割れており、外の森が見える。

何だと思い、便所を出ようとした時。















「アア……アアアアアア…アアアアアア」














「!?」

その声は捻り出した様な声で、声だけでこちらを見ている気配がした。

「……」

俺は立ち止まってしまった。

後ろを振り向こうにも、恐怖心が勝り、硬直してしまった。

「アアア…アアアアアアアア……」

声が聞こえてくる、ゆっくり近づいてくる気配。

次の瞬間。

「おい!何やってる!」

滋が小屋に戻ってきた。

同時に消える後ろの声。

その瞬間に俺は滋に引かれ、滋は思い切り扉を閉めた。

「……」

「おい!大丈夫か!」

「あ、ああ…」

「ったく、葵もお前も大丈夫かよ!葵は奥の椅子で寝ちまってるし、お前はお前で扉の前で立ち尽くしちまってるし!うわ!おまっ…漏らしてんじゃんか!」

俺は失禁していた。

恐怖の余り、自分でも気付いていなかったのだ。

俺は今体験した事を滋に話した。

「それが何かは分からないが、とにかくこの小屋から出る方がよさそうだな」

「だな…」

「葵も連れて出るか」

俺達は物が散乱している部屋に戻った。

と。

「おい、葵は?」

「あ?あれ、そこの椅子にいた筈なのに」

いつの間にか葵が椅子からいなくなっていた。

と、部屋の角の所から足音。

「おい葵!」

部屋の角の所に行くと、壁と同化した扉があった。

まるで隠し扉だ。

「何だその扉…」

扉を開けると、階段があった。

2階へと続く階段だ。

俺は正直、この小屋に2階があった事に気付いていなかった。

外から見ても2階と思われる所は全て、木や蔦状の草で覆われていたからだ。

「2階に葵は行ったのか?」

「そうだろ、小屋の入り口の扉も閉まってるし」

俺と滋は2階の階段をゆっくりと歩いた。

速く歩けば抜け落ちそうな程、階段の木は腐っており、朽ちている。

そして2階の部屋の扉を開けようとした時。

「おい!待て」

滋が止める。

「扉をよく見ろ」

暗くてよく分からなかったが、扉は数百枚はあるお札で閉じられており、扉の両端には盛り塩があった。

だがその盛り塩は黒く、変色していた。

「扉の雰囲気からして、ここはやばいと思う…だが、その扉と壁の所のお札が破られているから、葵はこの中にいる」

「行くしかないだろ…」

「俺が開けるぞ」

滋はそう言うと、思い切り扉を蹴飛ばした。

その瞬間。

「!?」

滋は何かの強い力で吹き飛ばされ、階段の一番下へ転がり落ちた!

「おい滋!」

「部屋の中を見ろ!」

俺は部屋の中を見た。

…中には葵が立っていたが、様子がおかしい。

こちらの方を見て、葵は両手を真横に上げている。

「葵!」

駆け寄ろうとした瞬間。

「っっっっっ!?」

人の形をした黒い影の様な『何か』が葵の背後から現れ、赤く濁った眼で俺を睨み、追いかけてきたのだ。

「!?」

俺は咄嗟に扉を閉め、黒く濁った塩を摑み、階段を駆け下りた。

下に落ちた滋は、落ちていた包丁を手にし、身構えていた。

「滋!逃げろ!」

「葵がいるんだぞ!」

「!!」

歯噛みする俺。

その時、和式便所のある方向からも黒い何かが近づいてきた。

「クソッ!」

滋は包丁を持ったまま、俺と小屋を出た。

小屋を出た瞬間。

「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!」

葵の悲鳴が小屋から響いた。

「葵っ?」

「クソオオオオオオオオオオ!」

滋が小屋に戻ろうとするが、黒い何かが追ってくる。

「アアアアア…アアアアアアアアア」

呻き声を上げながら迫ってくる黒い何かに、滋は持っていた包丁を投げ、俺は摑んでいた塩の塊を投げた。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアア」

黒い何かの動きが止まった隙に、俺と滋は逃げた。

獣道を無我夢中で走って、途中で何度も転んだ。

正直、この辺りの記憶は曖昧で、良く覚えていない…。




















数分程全力で走り続け、俺が転んだ時。

「アアアアアアアアア…」

耳元で声がした。

囁くような、粘着質で、口の中の唾液のような湿り気を帯びた声。

それが堪らなく怖くて、俺達は無我夢中で走り続け、障芽池の森の周囲に張られた有刺鉄線の前に出た。

俺と滋は無我夢中で外の大人達に助けを求め、滅茶苦茶に叫びまくった。

それに気づいた神主一族の大人達に助けられた。

俺と滋が障芽池の森から出てきた事を知り、それは直ぐに村中に知れ渡り、俺と滋の両親に家族、神主一族の他にも多くの村人が障芽池の森の入り口付近に集まった。

何も言わずとも、俺と滋の服がボロボロである事から大体の見当が付いたらしく、直ぐに神社の本殿へ連れてかれた。

既に本殿には村人全員が召集されており、異様な雰囲気だったのを覚えている。

神主が俺達の前に立つ。

「最初にお前達に憑いた存在を払う、辛いのを覚悟しておけ」

神主は俺と滋に無理矢理に酒や酢といった物を飲ませ、身体中に塩を掛けた。

思い切り背中を叩かれたと同時に、俺と滋は何かを吐いた。

蝋燭の火に照らされた嘔吐物を見ると、俺は無数の髪の毛を、滋は何枚かのお札のような紙を吐いていた。

神主の指先で、背中に文字を書かれたと同時に、神主一族による祝詞が始まると、俺と滋はそれから何度も何度も嘔吐した。

吐瀉物の中には蟲のような生き物がいた。

黒い、蚯蚓だか蛆虫だか形容し難いような蟲。

そんなものが体の中にいたかと思うと、気分が悪くなってまた吐いた。

数時間に亘るお祓いの後、俺達は風呂に入らされ、本殿に戻った。

「お前達が何をしてきたのか、それから聞こう」

神主と神主一族、そして村人の睨み付ける様な視線の中、俺と滋は何をしてきたのかを白状した。

俺と滋が事の話をすると、神主は俺と滋を思い切り殴った。

神主の妻、つまり葵の母も話を最後まで聞いた瞬間に気絶してしまったり、俺や滋の両親もずっと俯いたままだった。

両親、親族に迷惑をかけた俺は、村から追い出されると思っていた。

「話を聞けば聞くほど、俄かに信じられんような内容だが、今から私や一族が話す事は、もっと信じられんような内容だ。心して聞け」

神主は睨むような目で俺達に話した。

…神主や神主一族が語った内容、教えてくれた内容を纏めると、俺達が行った小屋というのは、村の伝承に語られる『鬼小屋』と呼ばれる小屋だそうだ。

村人の殆どはこの伝説を知っており、俺と滋の話を聞いていた村人の中には、『本当に小屋があるとは』とか『若い頃は探して年寄り連中に叱られた』と話す者が多くいた。

神主によれば、この小屋は伝説では無く実在するが、小屋の存在自体から招かれなければ行く事は出来ないらしく、神主自身も過去にこの小屋を見つけようと探した事があるそうだ。

小屋に招かれれば、招かれた者は無意識に小屋へ向かうようになるという。

その場合、小屋以外の目的で障芽池の森へ入ると、その目的の先には小屋が現れる。

要約すると、俺達はこの小屋に招かれてしまった為、目的であった障芽池や森の祠に辿り着く事が出来なかったというのだ。

神主一族の長老によれば、この小屋の名前は鬼小屋だが、中に住んでいるのは鬼でも幽霊でも無いそうだ。

この小屋の中で見た黒い何かというのは、この小屋に住む『障者』と呼ばれる存在との事で、この小屋には2体の障者が住んでおり、男性と女性の障者が住んでいる。

そして、男性と女性の障者は元は人間の男性と女性であったそうだ。

村の伝承によれば、数百年前に村と町の道が土石流によって数キロに渡り寸断され、
村の農作物が豪雨による小川の増水、水系の崩壊等の自然災害によって駄目になり、村が飢饉に陥った時がある。

飢餓状態となった村人が作物を探す中、ある日、1人の村の男性が、村の女性を村奥の森の中の小屋に監禁した。

男性は飢餓の極限状態により、監禁している女性を暴行し、奴隷のような状態にした。

簡単に言えば、女を犯したとの事。

女性は飢餓による栄養失調や体力の減少で餓死してしまった。

肉に飢えていた男性は、その女性を解体し、食べた。

男性はその時に得た食人の快楽を求め、次々と村の女性を殺し、食べたという。

中には、生きたまま解体され、食人された女性もいた。

女性ばかりを狙うのは、彼が根本的に男性であるからだそうだ。

この男性の情報は村に広がったが、村人の男達はこの男性を捕える所か、同じように村人の女性を殺し、共食いし始めたのだ。

殺し合い、食べていく内に人は狂って行き、最初は殺される側だった村人の女性が村人の男性を殺した。

そして、それを見た他の女性も人を殺し、食べ出すようになった。

数百人いた村人は数十人から数人へと減り、最後の村人の女性を食べた男は、森の中の小屋で自殺したという。

この自殺した男こそが鬼小屋の男性障者であり、最初に暴行され、殺され、食べられた女性が女性障者である、と伝承には存在する。

俺と滋に憑いていたのは、この障者の両方の力であるそうで、滋には男性障者の力が、俺には女性障者の力が憑いていたそうだ。

村人が消滅したこの村には、後に現在の神主一族の先祖『初代神主』の一家が引っ越し、村復興の始めに村の守り神となる神社を立てた。

家や道に残された村人の骨を村奥の池に水葬した後、村奥の池に集まった、村人の怨念を封印し、名前を障芽池と名付け、池自体を名前で縛った。

後世にも自分の力が村を守るようにと、自分の力を封印した石と、その石を祭る祠を村奥の森の中に立てた。

強い怨念が留まり続ける、村奥の森の小屋の2階の扉を封印し、小屋自体を人の認識外へと封印した。

しかし初代神主の力では認識外への封印が限界で、それが招かれれば行けるという隙を作る結果となってしまった。

初代神主は子孫達に、この小屋を鬼小屋と語り、中に住む者を障者と呼んでいたそうだ。

初代神主は、この村で死んだ村人を弔う為、この村に生きる村人を村の鬼から守る為、この村で生まれた鬼を外界に出さない為、8月15日に神社で行う村全体での祭り、即ち辿静祭、鬼無し踊り、浄縁神楽を残した。

村の伝承を残す用意をした過程で生まれた、幾つかの綻びを繕う為に、初代神主は最低限の三つの禁を残した。

初代神主は村に引っ越してきた者達、即ち今の村人の先祖達に、永久に村を守れるようにと、この村の伝承を受け継がせた。

長きに亘り、村の伝承は受け継がれてきたが、ある年、村の伝承を知ったある一族が森の祠へ行き、初代神主の力を得ようとする事態が起きた。

何故か森の祠にある石を壊せば、自分達にも力が宿ると思っていたらしい。

一族の企みを知った村人が神主一族に報告した事により、一族の行いは未然に防がれる事となった。

力を得ようとした一族は、村八分の後に村を追放された後、人間関係で失敗し多額の借金を背負い、遂には一族で投身自殺した。

この事から、森の祠や、村の伝承の大半を村人に残さない方針に変わり、この世代から神主一族にのみ管理が任せられ、森の祠の周囲にも封印がなされる事となった。

この当時の滋の一族は、この方針を無視し、一族内で森の祠の存在を伝えていたらしく、滋は両親の会話からその存在を知る事となった。

森の祠になされた封印は、8月14日に弱まる為、その封印の組み直しを当代神主は、毎年1人で行う。

神主によれば、組み直された封印は、来年の8月14日まで弱まる事はないが、強い悪意の絡んだ何らかの手段で、この封印を破壊し、初代神主の力を得る事が可能だそうだ。

「この事態を機に、我々一族が隠していた秘密は村人に知られてしまった事になる」

俯き加減に呟く神主。

「滋の一族は本来ならば村を追放されるべきだが、今は構ってられん」

と。

「葵の囚われた小屋へ行く用意が出来たぞ」

神主の一族の者達が部屋に入ってきた。

「分かった…2人とも」

神主は俺達の顔を見た。

「私は一族全員で葵を救いに行く。我々にも、初代神主が小屋に施した認識外の封印の解き方は知らされていない。小屋から呼ばれている君達しか、もう一度小屋に行く事は出来ないのだよ。正直、娘が今も生きているという保証はどこにもないが…既に遅いかもしれないが、協力してくれないか」

「葵は必ず、この場所に連れ戻して来ます」

責任を感じずにはいられない。

俺は頷く。

「禁を犯した自分が言うのもなんですが、これは自分に下された天命だと思っています」

滋もまた同様に頷いた。

「我々は途中まで君達に付いて行く。葵を見つけたら直ぐにこの清めの水を飲ませ、背中にこのお札を張りなさい。そして、清めの塩を葵の身体全体に掛け、障者が現れたら真言を唱えなさい」

神主は俺達に、その真言を教えてくれた。

「真言で障者を数秒止める事が出来ると思うが、止められなかった場合はひたすら走り、我々の下へ来るのだよ。立ち止まってはいけない事を忘れずに」

「はい」

俺と滋は覚悟を決めた。

















1本の獣道を進む。

途中から、山の獣の声が聞こえなくなってきた。

「そろそろか」

「だな」

息を飲みつつ、俺と滋は進む。

怖い。

怖くない筈はない。

…そんな場所に、葵1人を置いてきてしまった。

ずっとずっと幼馴染みで、女子の葵を、たった1人で…。

暗がりを抜けた先には、小屋があった。

俺と滋は、無言で道具の最終確認を行った。

「あれ」

「どうした?」

俺の声に滋が顔を上げる。

「いや、鋏なんて入れたっけなって思ってさ」

「裁断鋏か、何かの役に立つんじゃないか?」

首を傾げつつ。

俺と滋は作戦の最終確認をした。

作戦はこうだ。


俺と滋で小屋に一気に突入する。

下の部屋に障者がいた場合、滋が相手する。

その隙に俺が2階へ行き、葵を助ける。

2階に障者がいた場合、障者を足止めし、葵を連れて1階へ降り、滋と葵を守りながら、神主一族の下へと走り抜ける。

作戦というような大層なものではないが、この方法で行くしかないと思った。

「行くぞ」

青ざめた顔をしていたに違いない…俺は言う。

「ああ」

頷く滋。

精一杯の虚勢を張って。

2人で突進するように、小屋に入った。

下の部屋に障者はいなかったので、下は滋に任せ、俺は階段を駆け上がった。

2階の扉を思い切り蹴破り。

「葵!」

俺は葵の名前を叫び、中に居るであろう障者を威嚇した。

部屋の中には、全裸の状態で手を天井から吊るされ縄で縛られ、足を紐で床に固定された葵がいたものの、中に障者はいなかった。

「葵!」

俺は葵の縛られている姿よりも、単純に生きていた事に喜び、葵を縛っている縄を鞄に入っていた裁断鋏で切り、清めの水を口に含ませ、背中にそのままお札を張り付けた。

そして、塩を身体に振りかけた。

これで助かるのか?

衰弱し切って動きのない葵。

俺には分からない。

とにかくここを連れ出すしかなかった。

葵を抱え、2階の階段を降りる直前だった。

「…後ろ…!」

蚊の鳴くような声で葵が言う

後ろを振り向いた俺の前に。

「――――――――!」

首を吊られたまま、こちらを見つめる黒い何かが、俺には聞き取る事の出来ない言葉を発していた。

さっき葵を下ろした時にはいなかったのに。

こいつが障者という奴か…!

俺は神主から教わっていた真言を唱えた。

だが、障者は意に介した様子もなく、こっちに近づいてくる。

「何だよ!」

何が真言だ、全く通じないじゃないか!

俺は葵を抱えたまま、後ろに下がっていく。

ジリジリと、にじるようにして近付いてくる障者。

首に巻きつけられたままの縄が、皮膚を擦り切って血を滲ませる。

血流が止められているのか、顔は信じられないほどに紅潮している。

額に浮かび上がる無数の血管が、不気味さを助長していた。

と。

「!?」

葵が俺の知らない真言を唱えた。

「――――――――!」

障者の身体が痙攣しているように見える。

今の隙に…!

俺は葵を抱えたまま、階段を駆け下り、小屋を抜け出した。

「おい!早く行くぞ!」

「ああ!」

葵を救出し、滋と合流。

俺達は獣道を走る。

しかし。

「アアアアアアアアア…アアアアアアアアアア」

暗闇の森の中、身の毛もよだつような声が轟く。

俺達を追ってくるのは女性の障者。

長い黒髪を振り乱し、赤黒い目を剥き、黄ばんだ歯を剥き出しにして、両手を伸ばし、掻き毟るような動きを見せながら追ってくる!

その形相に怖気を覚える。

ここまで…ここまで来たんだ。

葵が生きてたんだ。

誰がこんな所で…!

「くそっ!」

滋が苦し紛れに、教わった真言を唱える。

この障者に対しては、効果覿面だった。

頭を抱え、目眩にも似た動きを見せる。

獣道に蹲った障者を置き去りに、俺達は走る。

呼吸なんかどうでもいい。

心臓の鼓動なんかどうでもいい。

今は逃げないと!

逃げないと!

必死になって走り続け。

「…真言が…効いたみたいだな…」

俺と滋は膝に手を当て、ここでようやく思い出したように荒い呼吸をした。

「さぁ、もう少しだ…村へ戻ろう」

滋を先頭に、再び歩き出す。

次の瞬間!

「!?」

突然、障者が雄叫びを上げながら地中から手を伸ばし、滋の足を摑んだ!

「滋っっっっ!」

「先に行け!行けえぇえぇぇえぇぇっ!」

滋はそのまま、そのまま障者に引き摺られて森の中へと消えていった。

必ず…必ず助けるから…!

そう誓って、俺はひたすら走った。

真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ神主一族の下へ。

「よく戻ってきた!滋は?」

「捕まった、俺と葵を逃がす為に…」

「そうか…」

合流した俺か滋の事を聞かされ、落胆する神主。

「葵をすぐに本殿へ!」

俺と神主、神主一族は直ぐに村に戻った。

そこで、ある事が村人から神主へ伝えられる。

滋の一族が、先程この村を出て行ったというのだ。

村人の話を纏めると、神主一族が村から障芽池に行っている間にその隙を突いて、滋の一族全員が車に乗り、村の出入り口の封鎖を強行突破したそうだ。

今日は辿静祭当日であり、村から出る事は第二の禁を破った事になる。

滋の一族が村を出て行った理由は、恐らくは村八分による追放を恐れた為だと考えられた。

俺は、自分の息子で跡取りでもある子孫の帰りも待たずに、この村を保身の為に逃げて行った滋の一族が、正直、神罰でも当たればいいのにと思わずにはいられなかった。


















8月15日、辿静祭当日、午前6時。

神社の本殿へと通された葵は、身体の穢れを消滅させる為の禊を行う用意がされた滝へと向かった。

禊には葵の両親が付き添うらしい。

俺はその間、本殿へともう一度呼ばれ、神主一族の方と話をする事になった。

「単刀直入に言わせて貰うが、滋についてだが、恐らくはもう手遅れだろうと思う…
葵は若い女性という点が障者にとっては生かす利点になった為、監禁され、弄ばれる程度で済んだかも知れないが、滋は若い男性だ。障者にとって、男性は邪魔にしかならない。その部分だけで、滋は殺されるだろうからな…」

俺は助けると誓った時、薄々感じてはいた。

もう滋を救う事は出来ないのでは無いかと。

俺は分かっていながらも、親友を失った事に涙した。

「彼の魂は、あの小屋に永遠に留まり続けるだろう。彼はあの小屋で『第2の男性障者』となる。我々に障者はどうする事も出来ない、あの存在は既に輪から外れた存在なんだ」

目を閉じる一族の人。

「君がまだ、あの小屋に呼ばれているのならば、もう一度小屋に行けば会えるだろうな。だが、今度は確実に君は殺される。それに、君が死ねば葵は1人になる…その事を努々忘れずに」

俺は泣きながらも、泣いても済む問題では無いと分かっていた。

神主一族は、俺の聞きたかった事を全て話してくれた。

俺が死ねば、葵は1人になる。

滋には悪いが、俺は死ぬ訳にはいかない、そう思った。

滋よりも葵を取った。

この時、自分が非道だと初めて認識した。

8月15日、辿静祭当日、午前10時。

葵の禊が終わり、障者によって障られた部分、簡単に言えば身体全体の清めが始まった。

葵と俺は全裸に白装束を纏った状態で、祝詞の途中で何度も冷水を身に浴びる。

葵は途中で涙ぐんでいる所もあったが、3時間の清めを乗り切った。

最後、自分の身体から何かが消えていくように体全体が軽くなった。

清めを終えた俺は、神主から葵の事について教えて貰った。

「葵や君の穢れ障りは、これで完全に消滅した。葵についてだが、身体の至る所から障りが抜けて行くのを私は見た。恐らくあの小屋では監禁と同時に、暴行に近い行為を何度もさせられたのだ」

当然の事だが、神主の手は怒りに震えていた。

俺に何故、その話をしたのかを神主は語った。

「何れ君が葵の傍に付いて、正しい判断を下す時がくるだろう。葵は君の身を気に掛ける。今度こそ、君が正しい判断をする事を私に誓ってくれ」

俺は神主の予言めいた言葉を聞き、今度こそ葵を守ると強く誓った。

8月15日、辿静祭当日、午前11時。

清めが終わった後、飯を食べ終わった俺と葵は、神主一族の屋敷、つまり葵の家で寛いでいた。

葵が小屋に囚われる直前以来、俺は彼女と会話をしていない。

何とも決まりが悪く…俺から話を切り出してみる事にした。

「あのさ、暇だから花札やろう?」

「…いいよ、こいこいね?」

「ああ!」

やっとまともな会話が出来た。

花札をやりながら、昨日の夜、つまり障芽池の森に入った時から、今日の清めが終わるまでの記憶が全く無かった事や、昼食を食べている時から、幽霊の様な存在が見える様になった事を聞いた。

小屋での記憶が無くとも、葵は心身共に傷付けられた事には変わりない。

これを生涯の教訓にすると、葵に、そして滋に誓った。

葵は両親から、滋は家族と共に引っ越したと伝えられていた。

8月15日、辿静祭当日、午後3時。

神社の神楽殿の前に、神主によって村人全員に召集が掛けられた。

重要な話だそうだ。

俺と葵も神楽殿の前に向かった。

「突然だが、今年の辿静祭を中止する」

神主の言葉は唐突だった。

「ここまで用意をしてくれた皆には感謝するが、昨日から予想外の事が多発している。鬼小屋絡みの件、滋の一族の逃亡の件、森の祠の中の霊石が破壊されていた件だ。森の祠の件についてだが、私は昨日の朝、再封印の為に森の祠に行った。その時は、森の祠の周囲の封印は破られておらず、霊石も破壊されてはいなかった。今日の朝、森の祠に異常が無いか確認しに行くと、封印が破られており、祠の石、初代神主の霊石が破壊されていた。破壊された霊石からは、微塵の霊力も感じ取れなかった事から、霊力を何者かが奪った後、あの霊石を破壊したと考えられる。初代神主の霊石は、この村のあらゆる封印を支える力であり、封印の維持が不可能になった今、全ての封印は崩れ、封印されている存在が溢れ出し、この村には災厄が訪れる」

当然の如く村人は慌て始めた。

森の祠の霊石を破壊した犯人、村人は大声で言わないだけで、滋の一族の仕業だと気付いていた。

「今より、この村での全ての禁を廃止する。我々一族は、この村を脱出する事を決断した。今夜にもこの村を出ていく。以上だ」

予想外の展開となった。

村に災厄?

俺は軽く混乱した。

昨日から色々な事があった。

だが、それは村全体に影響する事は無いと、心のどこかで思い込んでいた。

しかし、思い返せば村に災厄が訪れる原因の全てが、俺の責任。

俺の家族はどうするのか、その事が頭をよぎった。

「君の家族は、私の家族と一緒にホテルに移動するそうだよ」

「そうなのかっ?」

自身の家族の事を葵の口から聞かされ、俺は目を丸くする。

「お父さんと君のお父さんが話しているのを聞いてね」

「そうなのか…」

何故か安堵した。

葵と一緒に居られる事からか、それとも村を出るからなのか。

この時の俺は、色々な思いが頭の中を回っていたように思う。

8月15日、午後5時。

神主の話から2時間が経った。

あの話を村人が聞いてから、村中は大騒ぎになっていた。

逃げ出す用意をする者、ここに残ると主張する者、揉める者、あちらこちらで見られた。

俺の家族は、葵の家族(神主一族)と共に、この近辺で一番大きな町のホテルへ一時的に移動する事となった。

学校も変わるそうだ。

「村ともお別れだね」

「そうだな…」

「この村、どうなっちゃうのかな」

…それは、俺にもどうなるかは分からない。

神主に俺が直接聞いた事によれば、初代神主が残した、自分の霊力を封じ込めた霊石の力は、本当の所は初代神主が死ぬ直前の年まで効力を発揮したが、死後、直ぐに効力は無くなってしまったらしい。

そこで初代神主の子孫達は、辿静祭に関する禁を作り、その禁を恐れ、守ろうとする村人の念を、何らかの方法で石に集める事で霊石と化し、その霊力を核として村のあらゆる封印や結界を保っていたそうだ。

その霊石が破壊され、霊力が奪われた今、村に施された何百という封印や結界が徐々に崩壊しているらしく、全てが完全に崩壊するのは5日後の8月20日。

完全に崩壊した時、村に留まり続けてきた災厄が訪れると。

正直、この伝承のどこが真実なのか、未だに隠されている事があるように思ってならない。

神主は祠の封印が破られた件に関して、自分自身でも疑問があるらしい。

その疑問を纏めると、まず祠の封印を破った者は、痕跡からして1人だそうだ。

滋の一族は祠の場所を知っている事は確かだったし、霊石の破壊されていた周囲には多くの靴跡が残っていた為、霊石を破壊したのは滋の一族で間違いない。

だが、祠の周囲に施された封印を解くには、例え祠の場所が分かっていたとして、そこに行ったとしても、『近づいた者の生気を欠く封印』の前では無力になり、どうしても祠に近寄る事は出来ない。

代々の神主は、この封印が弱まった所を修復しに行く為、弱まっている封印の前である方法を使う事によって、何とか再封印が可能となる。

霊石が破壊されたのは、神主が再封印をした直後なので、弱まるも何も万全な状態だ。

要約すると、人には祠の封印は破れないが、人外の存在ならば封印を破り、滋の一族を祠の中へ通す事が出来る。

俺は胸騒ぎを感じていた。

何か忘れてはいないかと。

8月15日、午後7時。

俺と葵の一族を乗せた車両が村を離れた。

同時に、両一族の重要な物や必要な物を乗せた大型車両も村を出た。

…何か忘れているような気がする、こんな結末になる最初の段階の辺りで、何か気付いていなかったか?

心の中で呟いてみる。

「何か忘れ物?」

葵が訊ねる。

「いや…気のせいだったみたいだ」

俺はあまり思いつめないようにした。

そして俺と葵は、村を後にした。

8月16日、午前8時。

神主によれば、昨日村を脱出した人は30人近くいるらしく、殆どが老人の方だそうで、その殆どが老人ホームに暮らす事になるそうだ。

真夜中に村を出た一家によれば、田圃の畦道に身長120センチ程度の、顔が血に塗れ、手が6本生えた獣が立ち尽くしていたそうだ。

その獣の傍を車が通りかかると、足元には山犬の頭が転がっており、脳髄を引き出して遊んでいたそうで、こちらには見向きもしなかったらしい。

神主によれば、この獣は食人された村の子供達の怨念が形を変えて現れた存在らしく、人を襲わないが、人以外の動物を玩具にするそうだ。

これも村に封印されていた怪の一種らしい。

「今話したような怪異の一種に、現象となって現れる怪異そのもの、そしてその怪異の元とも言われる『因縁』は、村から放たれている…所縁、因縁といった存在は、村と関係した者、あの村を知る者、村の怪異そして因縁を知る者に取り憑き、更に因縁を拡大していく。因縁によって起きた災厄があの村をこれから襲う。何れ村が無人となる時、あの村は因縁の溜まり場、怪異の溜まり場となるだろう」

俺は村に特別な未練がある訳では無い、滋との事も非道ながら断ち切った。

そして何より、自分自身、親族自身に、そして葵の身にまだ何も異変など起きていなかったから、あの村が化け物とかの吹き溜まりになろうとも、知ったこっちゃ無い。

そう思っていた。


















最後に村を出てきた他の一族によれば、最終的に村に残った人達は20人程らしく、老人や中年の大人が殆ど。

8月17日から、村の中で黒い人影を見る者が増えた。

その人影は赤く濁った様な瞳で、奇声を上げながら不規則な動きで追いかけてくる。

それを見た者は、次々と精神を病んでしまったという。

精神を病んだ数日後には自殺、奇声を上げながら障芽池の森へ走って行ったり、家族に噛みついて、肉を食い千切ろうとする異常な行動が見られたそうだ。

それを見かねた人が村を出ようとすると、服を脱いだ大勢の村人が車の上に乗っかってきたらしい。

精神を病んだ人達の中でも数日もち堪えた者は、決まって全裸で村の中を夜中に集団で徘徊し、家の中に人を見つけては奇声を上げて飛び掛かり、人を何処かへ連れ去っていくそうだ。

こんな事態になれば、警察も動かざるを得ない。

8月18日に警察が村へ入った。

しかし、幾ら家の中や森の中を捜しても、生きた村人は誰1人として見つからなかった。

その代わりに、あちらこちらで死体が発見された。

自宅の風呂釜の中で茹で上がっている遺体、小川に水死体として浮かんでいる複数の遺体、神社の木で首を吊っている複数の遺体、そして森の中で首を吊っていた滋の遺体等、多くの遺体が見つかった。

それら全ての遺体の傍には、本人の物と思われる遺書が置いてあり、集団自殺、事故死、病死という事で片が付くらしい。

ただ、村を出て行った人数と、村で死んでいた人数が合わないらしく、未だに発見されていない死体が存在するとされている。

この件に関しては、村の有力者の多くが、事件をなるべく公にしないように手配したそうだ。

俺は滋の遺書とされる物を見せて貰い、遺書のある不自然な点に気付いた。

これは、滋の遺書の一部。

『8月14日、午後6時

この遺書が見つかる頃には、俺は死体で見つかっているだろう。

俺は今から障芽池の森へ行く。

未練が無い事は、ここに綴っておく。

ある時は笑い、ある時は怒ってくれた、アイツと葵、今までありがとう』

この遺書が書かれている時間帯は、俺と滋が待ち合わせをしていた1時間半前で、
俺と葵の所に滋が遅れてきた頃には、既に自殺していた事になる。

しかし、そう考えると俺と葵の所に遅れて来て、鬼小屋に行き、村に戻り、また鬼小屋へ行き、障者に連れ去られていった滋は?という事になる。

仮に、俺と葵の元へ遅れて来た滋は既に死んでおり、それから行動した滋が他の何者かだったとしても、俺は彼の事を滋だと思う。

そう思うし、俺はそう思いたい。
















村に警察が入り、事実上この村の村人が零になってから、数日後、神主一族の1人が自殺した。

葵とは血縁が遠い人ではあったが、良く葵の面倒を見てくれた人だ。

「次は我々か…葵だけでも逃がさなくては」

神主によれば、村を離れた村人に憑いて居た因縁が数日経った頃に姿を変え、縁があるものに『それ』は作用し始めたそうだ。

村に残っていた村人の多くが死んだ今、村を離れていた者に災いを齎す為に、因縁は活動を起こし始めた。

神主一族の1人が自殺して十数日。

葵の両親と俺の両親は、両一族の知り合いが経営する施設に俺と葵を預けた。

どちらの両親とも最期の別れの言葉は、

『因縁は自分達で祓え』

だった。

当時はこの言葉の本当の意味を、理解出来なかったと思う。

それから数日後、葵の両親、そして俺の両親は交通事故で他界した。

葵と俺の両親が死んだ時刻は、場所は違えど殆ど一緒だった。

『ある交差点の交通事故で即死』

施設の管理者からそう伝えられた俺と葵は、涙が枯れるまで泣きじゃくった。

俺達は長い夢を見ているんじゃないかと。

その数日後、俺の祖父母と曾祖夫母が、放火による火災で他界。

更に数日後、残った葵の親族全員があの村に行き、一家心中したとの事だ。

正直怖くて、葵と俺はテレビを見なかったが、記事になっただろうと思う。

長々と村の消滅について語ってしまった。

始めに時間が限られていると言ったのは、村の因縁に追われているからだ。

俺は、因縁の元となっている場所に行き、やるべき事をやる予定でいる。

昔、俺に憑いた因縁を祓える人がいると聞き、呪術に関係する村へ行った事がある。

その村も、その呪術が原因で村人の多くが死んだそうだ。

俺は多くの因縁を人に繋げてしまった。

この村の因縁を祓う事は出来ないが、多くの人に散らせる事によって、因縁そのものの力を弱める事が出来る。

この話を読んだ人達の中には、村の因縁と関わりをもってしまう人がいるかもしれない。

もし身近に災いを齎してしまった場合は、冷静に行動する事を勧める。


願わくば、お前だけでも生き残ってくれ。

葵…。























俺のじいちゃん家は結構な田舎にあって、子供の頃はよく遊びにいってた。

じいちゃんは地元でも名士?っていうのかな、土地を無駄にいっぱい持っててそれの運用だけで結構稼いでたらしい。

だからじいちゃんとばあちゃんは、ちっちゃな畑で自作するだけで暮らしてた。

その土地の1つに、昔なんかのトラブルで全員住人が出て行ったり、死んだりした村があったらしいんだけど、この話と関係あるかは判らん。

俺が小学5年生の時の事。

俺と弟は、毎年夏休みになるとじいちゃんちに1、2週間泊まるって習慣があった。

けど俺らはまだガキだったから、じいちゃんちの障子を破ったり、クレンザーまき散らかしたり、ひどい悪戯ばっかやってた。

俺の両親はそれに激怒して一度出入り禁止にされそうになったんだけど、じいちゃん達は俺ら兄弟をえらく可愛がってたらしくて、やめるなって逆に両親を説得してた。

まあそれでその年も泊まりに来たんだけど、その時の話。

じいちゃんちの家の裏には畑があって、その隣にちょっとした林…雰囲気は森…がある。

で、森の真ん中には池があって、鯉を飼ってた。

弟が釣り好きだったんで近くの湖で鯉を新しく釣ってきて入れる事もあったんだけど、そんな時じいちゃん達はえらく喜んでくれた。

まあ結構釣る→入れるって感じでがんがん追加してたんだけど、池が鯉で一杯になる事は決してなかった。

じいちゃん達は『猫が食べちゃうんだよ』って説明してたし、俺らもそれで納得してた。

ある時、森の池を釣堀に見立てて釣りをしようって話になった。

俺は釣りに興味はなかったけど、じいちゃん達に『裏の池には絶対1人で行くな』って言われてたから弟についていった。

俺んちは結構熱心な仏教徒で無益な殺生はタブーだったんで、釣りっていってもキャッチアンドリリースか鯉こくとかにして食うかが基本、子供ながら無駄に殺したりはしなかった。

だから弟も鯉を殺さずに池に持っていってた。


で、1匹釣ったところで、俺が『鯉に洗剤掛けたらどうなるか実験しようぜ』というアホな実験を提案した。

俺の提案に大体悪乗りしてた弟も賛成し、実験の結果、当然鯉は死んでしまった。

死んだ鯉を見て子供心にも多少罪悪感はあったけど、『ほっときゃ猫が食べるだろ』と思いそのまま放置して帰る事にした。

けどここで弟が『兄ちゃん、猫が鯉食うとこ見ようぜ』というこれまたアホな提案をした。

まあ俺も動物番組でライオンがシマウマを襲うシーンをカッコいいとか思ってたので、生で見るのも悪い気はせず、近くの茂みに隠れて様子を伺う事にした。

しばらく潜んでると、森の奥側(畑と反対側)にある一番でかい木がガサガサと木の葉を揺らしだした。

当時俺は猫の生態を知らなかったので、ああ猫は木の上に住んでるんだなーと思いながらぼんやり見てた。

突然、隣にいた弟が『…猿』と呟いた。

俺は『?』と思いその木の上の方を見上げると、確かに何かいた。

猫にしてはでかい。

今思い返すと、その獣は夏であるにもかかわらず、やけに毛深かった。

その獣が、樹上から地上に向かって木の幹にへばりつくような感じで、『頭を下にして』降りてくる。

どことなく爬虫類を思い出させるような、嫌な感じの動きだった。

その『なんだかよくわからないもの』は、ゆっくりと池に向かって歩いてきた。

俺はいつの間にか体が震えている事に気付いた。

隣を見ると、弟も顔を真っ青にして体を震わせている。

その生き物が近づいてくるにつれて、何か人の声のようなものが聞こえてきた。

耳を凝らすと、その『けもの』が何か呟いている。

「……………もの……………もの………………もの………………」

なんだ。

何を言ってるんだ。

俺は当初の目的を忘れ、ここから逃げ出したくてたまらなくなった。

弟が一緒じゃなかったら、漏らしていたかもしれない。

そのくらい怖かった。

やがてその『けもの』が近づいてきた時に、顔と呟きがはっきりと判った。

あれは人の顔だ。

しかも人間で言うとこの、乳幼児くらいの。

そいつが無表情で呟いている言葉も聞き取れた。

「…いきるもの………そだてるもの……………かりとるもの …いきるもの………そだてるもの……………かりとるもの」

そして、鯉の所まで来ると、その鯉を見下ろし、ニタリ、と嫌らしい笑みを浮かべて、

「これで……できる」

そう言って、鯉には手をつけずに帰っていった。

俺ら兄弟はしばらく動けなかった。

呆然、という表現が正しいかもしれない。

我に返ると、いつもは使わない裏口への抜け道ルートを使って森を抜け、家まで辿り着いた。

流石の俺らもこの出来事には参って、夕食の時には元気がなくて、飯も喉を通らなかった。

心配したばあちゃんが『どうしたの?』って訊いてきたけど、俺は何にもないよって答えるより他なかった。

けど弟は遂に耐え切れなくなったのか。

「ねえ兄ちゃん、やっぱりあの猿…」

と口走ってしまった。

その瞬間、じいちゃんがさっと顔色を変えたのがわかった。

人の顔があんなにわかりやすく変わったのは、後にも先にもその時だけだと思う。

じいちゃんは何だか怒ったような感じで『どういう事だ』と問い詰めてきた。

俺達が観念して昼間の事を話すと、今度はばあちゃんと顔を見合わせて、心配そうな顔で『気分はどうだ、なんともないか』ってしつこく俺と弟に聞いてきた。

ああ、やっぱり怒られるんだろうかと俺が不安だった俺は、正直戸惑った。

じいちゃんは徐にどこかへ電話をかけ始めた。

俺と弟は玄関口に連れ出され、ばあちゃんに瓶の酒を嫌というほど浴びせられた。

そして子供の砂かけ遊びみたいに塩を撒かれた。


電話を掛け終わったじいちゃんは俺達の所へやってきた。

とても真剣な表情だ。

「もうお前達をこの家に上げる訳にはいかん。じいちゃん達が生きている間は、決してこの家へは来るな」

弟は突然の拒絶に『どうして?どうして?』と言って泣き喚いた。

俺もじいちゃん家が好きだったから、とても悲しかった。

俺達が落ち着くと、じいちゃんは言った。

「それはな、お前らがこの土地の守り神を怒らせてしまったからだ。守り神っていっても、うちにおる仏さんみたいな優しいもんじゃない」

そう言って、俺達にしばらく説明してくれた。

要点をまとめると、昔この土地に住み着いた先祖が神様に生け贄を捧げて、末代の祟りと引き換えに富を手に入れた事(狗神憑きみたいな感じ)。

うちで殺生が禁じられているのは、仏の教えというよりもその神様に付け入る隙を与えない為であるという事。

もし神様を起こした場合は、誰かが犠牲になってこの土地に縛られ、祟りを受けて鎮めなければならない事。

話の後で、じいちゃんは『今夜だけは帰れん、けど安心しろ、じいちゃん達が守ってやるから、 明日朝一番に帰るんだ』と言って、その日だけは泊まる事になった。

やがてじいちゃんの電話の相手が来た。

俺の見知らぬ女の人で普通のおばちゃんに見えたけど、後から聞いた話では、土地ではかなり有力な霊能力者らしい。

おばちゃんは俺達兄弟を一目見る。

「あら、これは大変な事になっちょるね。ともかくこれを持っときなさい」

そう言ってお札を1枚ずつ渡してくれた。

姿の見えなかったばあちゃんは寝室の準備をしていたらしく、俺達は仏間に泊まる事になった。

仏間は小さな部屋で、1つだけある窓も新聞紙で目張りされていた。

そこには布団が2つと、普段はないテレビ、お菓子などの食料が用意されていた。

じいちゃんは俺達に言う。

「いいか、これからお前達は2人だけで夜を越えなければいかん。その間、じいちゃんもばあちゃんもお前らを呼ぶ事は決してない。いいか、何と言われても、絶対に襖は開けるなよ」

俺達は怖かったから、じいちゃん達に一緒に寝て欲しかったけど、そういう訳にはいかないらしい。

ともかく、2人だけで寝る事になった。

はじめのうちはテレビを見たり話したりして過ごしていた俺らも、だんだんと疲れが出てきて、いつの間にか眠ってしまった。

目が覚めたのは、何時頃だったろうか。

まだ辺りは暗かった。

何故起きたんだろうとぼんやり考えていると、外でガサガサと物音が聞こえた。

それと共に、あの呟きも聞こえる。

「……………もの……………もの………………もの……………………………もの……………もの………………もの………………」

心臓が一気に縮み上がったような感じだった。

蟀谷の血管が脈打ってるのが、はっきりわかった。

そのうち、窓ガラスが叩かれるようになった。

こんこん、こんこんという音と共に、

「…………さい…………さい」

という声が聞こえる。

ふと弟の方を見ると、いつの間にか起きている。

真っ青な顔で『にいちゃん、あれなんだろ。怖いよ』と震えている。

俺は弟のそばに寄り、そして窓の声へと集中した。

「あけてください……あけてください」

その声は、そう言っていた。

声色は、やはり人間の赤ん坊のものだった。

しかし、窓の外の影はとても幼児、いや人間のものではなかった。

しかし、その声をずっと聞いているうちに、こいつも必死なんだなという妙な気分になってきた。

と、弟が。

「ダメだよ、兄ちゃん!」

ハッ、と我に返った。

俺はいつの間にか、窓に近寄って開けようとしていたのだ。

一気に恐怖が戻ってきて、そのまま弟のところまで這って戻り、今度はひっしと抱き合った。

そのまま、まんじりともせず朝を迎えた。

とんとん、と襖を叩く音がした。

「じいちゃんだぞ、なんともないか、無事か」

俺はすっかり疑心暗鬼に陥っていたけど、朝日も差し込んできたし、こちらから開けなければ大丈夫だろうと思い『無事だよ』とだけ答えた。

すると襖が開き、じいちゃん、ばあちゃん、昨日のおばちゃんと、両親が入ってきた。

「よう頑張ったたい、とにかく無事でよかった」

ばあちゃんは言ってくれた。

おばちゃんに貰ったお札は白から鉄錆みたいな色になっていて、何故か元の半分ほどの大きさしかなかった。

それから俺達兄弟は実家に戻り、二度とじいちゃん家を訪れる事はなかった。

そのじいちゃんは母方のものなので母親はその霊能力者とも親交があるらしく、何度か実家の方に来てもらった。

月日は流れ、俺が高1の時、じいちゃんが死んだとの知らせが入った。

死因は、何故か話してもらえなかった。

母親にあの『けもの』との関連を問いただしても、だんまりを決め込んで決して答えようとはしなかった。

ばあちゃんは、緩やかに痴呆が進んでいるらしい、とだけ聞いた。

結局、あの『けもの』との関連は判らずじまいだった。

今はただ、あの日の軽率な行動を悔いてばかりいる。

ばあちゃんの世話をするどころか、その死に目にも会えないのが、無念でならない。

これが、俺の話。

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